ご無沙汰です
六月も終わりかけてますが、今の思いとしてはブログを続けている方の努力いや才能に感心します。
言葉、感情を整理しなければと思いがいけないのかなと思いますが、実際、そんな間もなくいろいろ出来事(個人的、社会的にも)がありました。社会的には、秋葉原や大地震といったことがあり、一体どうなってんだ、これからどうなるんだ?という思いです。しかし、秋葉無差別殺人はいろいろ複雑な事情、それに対する同調意見はあるかも知れませんが、殺人はいけないですね。
こういうと「なぜ人を殺しちゃいけないの?」なんて思う世代の方もいるでしょうが、ここは一つ「殺しはダメ」という大前提で「なぜ?」を考えてしばらく生きてくれたら有難いです。その思考過程が、きっと今の状況を変えてくれると思います。
話かわって・・・ いつぞやは、宗はあるが教がない日本人と書きましたが、今月初め、思わぬ訪問者がお寺に来ました。
天気が良く、昼前に檀家回りの勤めも終わったので、本堂を開け広げ掃除をしてたら、お参りさせてくださいと男性の老人が来ました。「いいですよ」というと、なんとお経をあげ始めたのですね。
単に手を合わせ、鐘を鳴らすだけと思ったらびっくりです。そんな訳で、私はその方にお声を掛けたのですが、お歳は90代とのこと。しかし、60歳までは、地獄でした。とドキっという発言。けれど、今は最高に幸せです。と続きがあり、ほっ
です。
いろいろ話は聞いたのですが、ここでは長くなりそうなので省きますが、ちょうどそのころ、戦没者関係のブログをした後だったから、この老人が和尚のブログ見たのかな?まさかなぁ~。(実際ありえません)でもなんでこの時期になのかなぁ~という思いでお話を聞きました。(戦争、戦後の話をされてました)
結論からいえば「不思議」です。観音様がお姿を変え私の前に出現した印象でした。
また、書きたいと思いますが、更に不思議なこと。
それから数日後、いつも通り、檀家さんの所に行きお経をあげたら、その家のおばあちゃんが、「お寺さん今日は仏の話を聞かせてください。」と言われました。90代のおばあちゃんですが、普段はベッドで寝て過ごし私のお経になると、這って私の近くまで来て下さるおばあちゃんです。
私は「おばあちゃん、いつもどうやって過ごしてますか?」と尋ねたところ、「布団の中でいつも手を合わせお経をあげてます」そう言うや、合掌しお経をあげ始めたのですね。私は、ずーとおばあちゃんのお経を聞いてました。
そのおばあちゃんとは、十年以上毎月のようにお会いしてましたが、お経を空暗記できるなんて知りませんでしたから、「何でこのタイミングなの?」とまたまた不思議に思い、聞いていたんですね。
ですから今月、月はじめには、なんと90代の生お経を二つも聞いたのですね。
こうなると、お経読める=教えもある(または教えが分かる下地がある)と解釈すれば、少なくとも90代は宗もあり教もあると言えるのでは?
では、90代以降はどうなのでしょうか?また、その後どんな変化があったのでしょうか?
(考えることが、大事なので)
今日はここまで・・・では、また
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