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花まつり

花まつりが無事終了致しました。心配していた天気も大丈夫で予定通り「おねり」も出来てよかったです。第七回の花まつりにはなりますが、全体を通しての印象としては、いまだ認知度プラス他の稚児衣装着る行事と区別がつかない方も多く、今後の展開に工夫が必要かな?と思いました。

とりあえず、http.//www.0256.tvに動画ニュースが流れています。興味ある方は、見てください。

「宗」はあるが「教」がない日本人。 

一口に宗教といいますが、「宗」と「教」という二つの認識は重要です。初詣やお盆にみられるよう、「宗」すなわち言語化されてない行動には、非常に厚い信仰心がある国民です。そんなのりがあるから、稚児衣装を着て華やかにおねりをするスタイルで企画スタートすれば「中之口花まつり」も成功するかも?と思い始めましたが、なんとか続いたのはやはりそういった日本の国民性なんでしょうか?まあしかし二順目を迎えた今となって思うことは、これからはやはり「教」は大事ではなかろうか?と思うわけです。

煩悩おさまらぬ世だからこそ・・・

煩悩の究極というか、行き着くところは「なぜ生きているの?」かも知れません。この問題は考えれば考えるほど悩みます。きっと、今回参加された親御さん方も、自身悩んでるかもしれないし、いずれは我が子にこんな質問をされる日が来るかもしれません。このなぜ?という認識は、人間である以上なくなりません。だから不安になり絶対者の存在で決着つけようとしますから、宗教は必要でもあるし、またいろいろ宗教がでてくる理由があります。今のところ、これに代わるものが出てきませんから、宗教を必要とするのは人として当然なのです。

つまり、宗教は人間の本質に根ざしてますから、無宗教という言葉を平気でいう感覚の親や人の存在が、いかにこれからの命(狭くは子供とか)の存在、人の生き方を悩みの底へ突き落としてしまう感覚、発言に繋がるのかを気付く必要があると私は思い考えます。

 数ある宗教の中で、仏教が今日まで残っているのは、それだけでも人間として生きる智慧が詰まっている証です。けれど、寺で育った私自身、仏教が素晴らしい教えだと気付くのが大学生頃だったので、その背景には、日本人の宗教感覚がずれている社会の存在があるのでは?思うようになりました。おっと話が難しくなりそうなので、やめますが、とりあえずは、花まつりがおわってホッとしました。そして、参加された関係者にはあらためて感謝申し上げます。

追伸 その後の展開はまた書きます。   合掌

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