慰霊祭
先般5/16慰霊祭を行いました。新潟市合併したら大きな慰霊祭はなくなりましたが、地元慰霊祭は存続しております。補助金とかいろいろ問題があるとの事ですが、供養の気持ちは変わらず持ち続けて頂きたいものです。
思えば最初に依頼されたのが、20代後半でした。当時は「わだつみの声」を読んでそこから法話を展開いたしました。終了後「あんたのような若い人から特攻隊の話が聞けて感動致しました有難う云々・・・」と特攻隊経験者から言われ、その後は生のわだつみの声を聞きました。
しかし、あれから十年ちょっと経ちましたら、顔ぶれも大分変わり体験者のお年寄りもいなく、空虚感というか、上手くいえませんがそんな気持ちです。
このたびは、先月「長岡戦災資料館」に行きましたので、その話を交えてお話をしました。そうしましたら法要後「当時私は小さかったけど、米蔵の焼け跡からくすぶった米をもって長生橋のたもとで水を汲み飯を食べました」という話が聞けました。
ちなみに、「長岡戦災資料館」は大手通り沿い、第四銀行あたりのビルの一階フロアにあり無料で入れます。長岡の焼失市街地模型、焼夷弾模型その他資料展示されてます。ビデオも見れました。その中で印象深く残った話が、焼け跡へ行き幼い弟妹を探した方の体験です。
「焼けた家から兄弟たちを見つけました。状況からして、幼い弟はさらに幼い妹達をかばうようにして焼け死んでました。この光景を見たとき、それまでいろいろ弟には偉そうにいって来たけど、果たして自分が空襲のさなかに妹達を守りかばう弟のような行動が出来ただろうか?と思うと私は一生、弟に頭が上がりません」という言葉が深く感銘いたしました。また機会があれば、「長岡戦災資料館」に行きたいと思います。みなさんもどうぞ。
ともすれば親兄弟殺しあう世の中、自ら死を選択しがちな世の中。だからこそ、多くの死によって、生があることを見つめ考える世の風潮が求められるかと思います。私は、これまで仏事を通して一貫して、言い続けていたのですが、言う相手がほとんどお年寄りです。世の中にあまり変化が感じられません。しかし、ブログを通してだと伝わる事がありそうな予感がしてきました。 効果は未知数![]()
余談ですが、今月はじめに奇妙な夢をみました。今、これを書いてたら、なんか関連があるのかなと思う気がしてきました。今になっても何故か夢なのに忘れずに私の記憶にあります。この話は長いからまた後ほど書きますが、今日は、お年寄りのいる家庭の方は、昔話を聞いてあげて戴ければ自分の生きるヒントが、いやお互いがよりよく生きる哲学が、そこに発見できるかと思います。
和尚合掌
| 固定リンク


コメント